Special Feature

2024.09.10

自分を認め、ありのままを見とめること――金村美玖写真展「みとめる」インタビュー

着飾っていない、素のままの写真

ー最初の北海道から1年以上撮影を続けてきて、ご自身の成長は感じられましたか?

金村美玖:最初は周りの目線が気になっちゃって、恥ずかしさと葛藤をしながらやっていたんですけど、2024年の冬(広島)の頃には楽しめるようになりました。旅先での人との関わりを楽しめるようになったり、それから単純に撮影が早くなったり。

撮影自体はずっとベーシックに、いっぱい撮ることを意識しています。すっごい上手になったかと言われたら「はい」とは言えないんですけど、ある種、自分の好きな写真を見つけられるようになってきたなと思います。自分の本当の「好きだな」って気持ちを認識できるようになったというか。

ー金村さんの「好きな写真」とはどういったものでしょうか?

金村美玖:なるべく着飾ってない、素のままの写真が好きなんだと思います。自分で自分を撮る時も、取り繕ってしまったりよく見せたいと思ってしまったり、やっぱり本能的にやっちゃうんですよね。できる限りそれを無くそうという努力はしています。

今回も、目線ありの写真の方が説得力があるかなと思いながらも、下を向いていたり、目線が外れていたり、そういう写真をセレクトしているのは、いつも通りのナチュラルな私が現れているように感じるからです。

ー普段は「プロデュース」の目線があって撮影されるという状況も多いかと思います。だからこそ素の姿を見せたい、と考えたのでしょうか?

金村美玖:でも、カメラマンさんに撮ってもらった写真集『羅針盤』の中にも、すっごい自分の感情が出ている写真があったんです。それを見て、私はこういう写真を撮りたいんだなって、あらためて思って。

それから荒木経惟さんの『センチメンタルな旅』という写真集を見て、すごく胸にグサッときた経験があります。最初に書いてある文章で、「これは嘘っぱちの写真じゃなく、私の写真だ」というような「私写真家宣言」があるんですよ。

たしかに、いろんな写真があふれる世の中ですけど、その多くは演技していたり、仕事としてやっていたりするものが多いと感じます。被写体の気持ちが優先されている写真って、目を見れば伝わってくるし、私が撮るならそこだけは譲りたくないなって思うんです。

―一方で、素のままを撮ることには暴力性もつきまといます。撮影を英語に訳すと「shooting」となり、「撃つ」と同義になる、というのはよく言われる話ですが、金村さんがセルフポートレートに関心が向いた経緯とも重なるように思いました。

金村美玖:たしかに、写真の性質としてそれはあるかもしれません。私自身あんまり撮られたくない気分の時はあるし、カメラを向けられるのが嫌だっていう人の気持ちもわかります。

だからメンバーを撮る時はすっごい気配りしますし、細心の注意を払うようにしています。なるべくさりげなく、楽しんでもらえたら一番いいなと思って、みんなが好きな場所に連れてきたいとか、おもてなししちゃいますね。

ーファンの方から金村さんに、メンバーの写真集を作ってほしいという声もありませんか?

金村美玖:あるんですけど、写真集は……大変ですよ(笑)。私自身も撮られる側で経験しているので、軽い気持ちではできません。とはいえメンバーの子たちの写真は頻繁に撮っているので、いずれなにかの形になったらいいな、と思います。

Exhibitions

金村美玖 写真展「みとめる」
2024.9.10 tue - 2024.10.6. sun